いまでもパソコンが欠かせない仕事をしているのですが
パソコン(マイコン?)とは、かれこれ34年ほどのつきあいになります
先日、友人のブログで「パソコンに入れ込んだ」という話を読んでちょっと触発されてしまいました
まとめてみよう!と思い立ったのですが
34年のうち後半の15,6年は自作PCオンリー・・・ちょっと紹介のしようがないので(笑)
PC遍歴の前半部分だけご紹介しようと思います
1980頃 SHARP PC1211を購入
私の記憶が確かなら、人生で最初のコンピュータは、この電卓のようなポケコンです。
BASICを搭載し、プリントアウトやデータの保存までできてしまうという、
前代未聞の優れものでした。
買ったのは
昭和55年の春で、3万円以上したと思います。(定価は43000円でした)
私の初任給が残業込みで8万円の時代でした。
未だに手元にありますが、もう電池を入れても動きません。
液晶もシミだらけで、たとえ動いたとしても、数字や文字を読みとることはできないでしょう。
しかし、思った通りの答えがでたときのうれしさに、身を震わせながら、
幾晩、徹夜でこのキーボードを叩いたことでしょう。
PCライフの出発点、それがこのマシンです。動かなくても、どうしても捨てられない。
そんな思い出のマシンです
1981頃 FUJITSU FM8 (MICRO8) を購入
当時、シャープMZ80Bや、NECのPC8801など、
ワンチップマイコンの次世代型マシンが登場しはじめ、
ようやく「自分のマシン」が一般ユーザーにも手に届くようになってきました。
山のようなカタログを取り寄せ、検討することおよそ一ヶ月。
この時間には、高い買い物に対する決断の時間も含まれてはいましたが、
その間にカタログのスペックもほぼ暗記し、
本体価格から周辺機器の価格までも覚えてしまうほど精読しました
最後に残ったのはFM8とMZ80B。
MZ80Bはカセットテープをパソコン本体に組み込んだ斬新なマシンで、
たしかBASICも組み込まれていて、当時大いに心くすぐられました。
基本的なスペックも相当に優れていたように記憶しています。
しかし、それにもましてFM8の先進性は群を抜いていました。
カラー表示や漢字表示が可能な事に加え、FDインターフェースも装備していて・・・
(FDもカラーモニターも高くて買えませんでしたが…)
迷いに迷ったあげく選んだのが
FM8でした
このマシンにセイコー(現在のエプソン)のプリンターをつけて、支払総額は32万円。
給料手取りが10万円もなかった、やたらと寒い冬のことでした
FM8は、もう手元にないし、写真も撮れないので詳細は以下でご確認下さい
http://news.mynavi.jp/column/history/002/
購入後スペースインベーダーのダンプリストを打ち込むこと10日間・・・・・
どんなにデバッグしても途中で止まってしまい涙したのもよい想い出です
【余談】
セイコーのドットインパクトプリンタ(FM8と同時購入、型番不明)
もう、ひたすらに、ただただ「うるさい」機械でした
清水寺ダ~イブ!の思いで手に入れたFM8を前に、必死でプログラムを作るのですが
深夜、明け方まで頑張った成果を、どうしても紙に印刷したい。
しかし印刷を開始すると同時に大騒音です、まあそのうるさいこと
嫁も子供も皆寝てるので、プリンターに段ボールをかぶせ、
さらにその上から布団をかぶせて消音対策・・・
デバッグの完了まで、デバッグと布団めくりを繰り返しておりました
1983頃 CASIO PB-770を購入
なんと大画面に4行もの表示が可能でした。
これはまだ電池を入れれば動きます。プログラムは全部消えてしましましたが…。
1985頃 NEC 9801 vmを職場で使う
職場で運良く出会うことができた最初の98です。
この3年ほど前に初代の9801が発売されて
あまりの素晴らしさに毎週のようにショップでながめていたのでしたが
当時の私にはとんでもない値段で、買うわけにはいきませんでした
そんな98シリーズの最新機種が職場に登場!感動しました(笑)
また、この出会いのおかげで、この時期「自分のPCが欲しい」という欲求が
かなり抑えられて、家計の面での恩恵も少なくなかったように思います(^_^;)
マシン性能にも驚きはしましたが、なんといっても
それまで補助記憶装置としてはカセットテープしかない状況だったのに
8インチ外付FDという夢の装置が付いており、
カルチャーショックにもにた衝撃を受けたものでした。
ちなみに、当時のFD装置は非常に高価なもので、
外付けの8インチFDで20万円ほどしていました。
これより少し前、FM8を買った直後のFDのカタログには、
「320KBの大容量フロッピーディスク装置がなんと32万円」
などという、ものすごいキャッチコピーが書かれてました
【余談1】
8インチのFDなど知らない方も多いと思いますが(フロッピーディスクを知らない人も?)
20cm四方の巨大なFDで、暑い日には
うちわ代わりになって便利でした(爆)
自分の接した記憶装置としては
8インチFDの前はカセットテープ、その前は会社のミニコンで「
穿孔テープ」・・・
さらに、その以前の学生時代には「
パンチカード」を使ってました
テープは巻き取り中に踏んづけて切ってみたり
カードは、一枚に1行のプログラムしか書けないので、
巨大プログラムだと数千枚になったりして、手に持ちきれずに箱に入れて持ち歩いたり
順番が変わってしまわないように細心の注意を払ったりと
今では想像もつかないことに苦心しておりました(笑)
【余談2】
このころジャストシステムが
マルチプランという表計算ソフトのために、
KTIS2という日本語入力システムを提供していました。
この衝撃も大きかった。なにせ、
文節変換です(笑)
それまでは1文字ずつ変換していたのですから心底すごいと思いましたね
まともなワープロなんてなかった時代でしたから
ほとんどの報告書はこのマルチプランで作っていました
1987頃 NEC 9801 vx2を購入
自分で初めて買った98です
本体とCRT、プリンターで支払いは
50万円を超えました。
これ以降しばらく98の値段は
本体価格44.3万円の時代が続いたのではなかったでしょうか
FUJITSUはじめSHAPEとか対抗企業はいくつかあったと思うのですが、
98シリーズのせいでNECの独壇場と言った雰囲気でした
当時はWINDOWSなどなくて、OSもMS-DOS・・・・
ソフト的な互換性も薄く、NECはハードも独特な内容でしたから
一度NECにすると「抜けられない」状況もあったように思います
高いといえばFDのメディア。
初めて買った5インチのFDは10枚入りで5800円でした
以降急速に値段は下がりましたが、非常に悔しい思いをした事を覚えています
1988頃 CASIO FX-860Pvcを購入
今でも現役で使用中です(笑)
プログラムを書かなくても、変数を適当に作って数式を入力すると
答えを出してくれるという便利さが素晴らしかったです
たとえば「A=B+C」という式を登録するだけで「B?」「C?」と聞いてくれて
答えのAを示してくれるという感じです
27年間壊れずに動いてるのもすごいです
1990頃 NEC 9801 DS2を購入
16MHzの80386という至って中途半端なCPUを乗せ、
486までのつなぎとして32ビット化をウリにした罪深いマシンです。
私もしっかりとのせられた一人で、
いろんな周辺機器とともに70万円以上でこのマシンを購入しました。
「
もうパソコンを買うのは最後やね」
そうかみさんに言われ、
「
そやね、この先ずっと使えると思うわ」
と答えた私には、何の悪気も、また騙す気もありませんでしたが
その先のPCの進化は、知るよしもありませんでしたので・・・
また、このころ、やっとハードディスク装置が一般人の手にも届きそうな価格になってきて、
20MBのハードディスクを取り付けて悦に入っていました。
ただし、20MBで10万円ほどしてましたけど(爆)
【余談】
初めて、ハードディスクを購入した1~2年後
ハードディスクも100MB前後の容量となってきていました。
そんなおり、友人から、
「会社のパソコンにハードディスクを取り付けたいが、今の100MB程度でよいのか、
それとも思い切って高価な200MB程度のものを買っておいた方がよいか?」
といったような質問をされ、
「
100MBもあれば、孫の代まで使えるよ」
と胸を張って答えたのは、今でも笑えます(^_^;)
秒進分歩といわれる世界であることはよくわかっていたつもりでしたが、
今こうして、動画ひとつのサイズが軽く100MBを超えるような時代が来ようなどとは
予測のしようもありませんでした
1994頃 NEC 9801BX2 9821AP2を購入
会社を辞めて、独立を契機に購入
良いマシンでしたがBX2のハードディスククラッシュに遭遇して
死ぬほどつらい目にあいました(^_^;)
その後・・・・・
NEC VALUESTARシリーズを1,2台乗り継いだあと
1999頃からは自作マシンのみとなりました
その頃は自作した方が安く上がったというのが理由ですが
今では、自作しても価格的にはDELLなんかにはかなわないのが実情です(笑)
しかし、自分の用途にあったパソコンというとやはり作るしかないので
今でも2,3年に1台のペースで作っています
これまでに作った台数?
もうはっきりとは覚えていませんけど、10台以上20台未満でしょうか
でもそれほど大きなトラブルになったこともなく、皆よい仕事してくれました!