日中もそこはかとない秋の気配・・・
こうして3、4度ほども気温が下がったことでずいぶんと作業の疲労感が変わってきました
平成30年8月18日(土曜日)
|2週間ぶりとなる実家行き
|こうして、半月も間隔を開けたのは畳のできあがりを待っていたためである
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|午前10時過ぎに到着すると、もう高知に知人が到着して作業開始していた
|何度も書くようだが、この知人はもう5回目の応援(^_^;)
|もうどうお礼をして良いかも分からないくらいお世話になっている
|一つ確かなのは、彼がいなければここまでの復旧はできていなかったこと
|本当にありがたい話だ
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|今日の私の仕事は以下のとおり
|◆住宅応急修理の申込
|◆支援金、見舞金、義援金の申込
|◆後期高齢者保険証の再発行
|◆まだやり残していた倉庫の片付けと清掃
|以上!・・・・の予定だったんだけど、畳屋が「今日行きたい!」と(^_^;)
|本当は明日の予定だった畳入れが1日繰り上がってしまった
|とういわけで、上記に加えて畳入れ&家具の再配置が仕事に加わった
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|【住宅応急修理の申込】
|申込自体は無事に完了!、しかしそれからの手順が実にややこしい
|ややこしいと言っても、本来その部分は工事業者の役割なのであって
|被災者の役割はこの申込手続きで終わるのであるが
|規模の小さい業者では災害復旧の経験も無く、手続き、手順に関する知識も無い
|どういう手順で工事を行って、請求をすれば良いのかを
|僕の方でかみ砕いて説明、必要な写真なども撮ってあげないといけない業者もいる
|役所事情というのもわかるし、悪用も阻止しないといけないから
|手順のややこしさもある程度は理解できるのだけど・・・正直、結構ハードル高い(^_^;)
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|【支援金、見舞金、義援金の申込】
|これは、実にすんなりと完了してホッとした
|義援金の分配が始まっているというのは初耳だったけど、ともかくありがたい話である
|金額以上に、全国の皆さんのお気持ちが嬉しい
|無駄なく大切に使わせていただこうと、身の引き締まる思いである
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|【後期高齢者保険証の再発行】
|実はこの件、再発行手続きが必要だと覚悟して実家に向かったのであったが
|到着後すぐに郵便受けを確認すると、保険証が届いていた
|すでに1ヶ月ちかく郵便受けの中だったのかと思うと、ちょっとコワイ気もしたが
|とにかくあって良かった
|そんなわけで、この手続きは不要となった
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|【倉庫の片付けと清掃】
|やはり気温がやや低いせいか結構はかどった
|最後は倉庫の床を高圧洗浄機で洗い流し、 倉庫関係はほぼ完了と言えるレベルになった
|上出来上出来w
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|【畳入れ】
|午後2時過ぎ、畳屋さん到着
|畳入れはすぐに完了したのだけど、そうなると家具配置が可能となるので
|むしろ自分たちの労力はそちらに投入となった
|この日は高校の同級生を一人助っ人に頼んでいたので、比較的楽に再配置できたが
|やはり大変なのはマッサージ機だった
|何キロあるか知らないが、4人がかりでようやく持ち上げられる重さ・・・
|かなり手こずったが新畳のうえにマッサージ機の配置を完了した
|これまで、仮置き状態だった家具類が、畳が入ったことで元の位置に納まり
|見た目的にはずいぶん元の状態に近づいた、やはり「畳効果」は大きい
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|高知の友人を見送るとすでに午後6時前になっていた
|缶酎ハイ2本をカラにして就寝
平成30年8月19日(日曜日)
|朝7時起床
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|この日はまず、週明けの台風襲来に備えて外回りの片付け
|倉庫や園芸用ロッカーの中身を元通り収納した
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|次に、畳入れでかなり整然となった室内の、フローリング部分の清掃を行った
|洋間と廊下をスチーム掛け&ワックスの塗布である
|いやはや、感動的に綺麗になった(笑)
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|最後にテレビの結線と電話の復旧
|実家はIP電話だったのだがルーターが水没したことで、1ヶ月以上不通だった
|ネットの契約先からはずいぶん前に新しいルーターが送付されていたのだが
|部屋の片付けが進まないうちにセッティングしても邪魔になるだけだったので
|これまでできずにいたのだが、設置場所のワックス掛けも終わったので
|ようやくセッティングが可能となったという次第・・w
|特に難しい作業でも無いので、すんなりと電話は復旧した
|もちろんテレビも結線して見られる状態となった・・賑やかでよろしい!(笑)
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|さて、上記の住宅応急修理・・・
|やっぱりわからないことも多いので、徳島への出発前に支所によって見た
|とりあえず不明点はなんとか納得できるレベルまで教えてもらえたが
|それを畳屋や工事業者に伝えてあげないといけない(^_^;)
|支所を出て、畳屋に説明、そして本来畳屋が氏に提出すべき書類を私が氏に提出w
|なんだかんだで、宇和島市を出たのは午後2時
|徳島には午後5時過ぎに到着した
見よ!この美しい床の輝き(笑)
気温が数度違うとこれほど体も楽かと驚くほどですが、
帰りの車での睡魔も今回はそれほどでも無く、ほんとに助かりました
実家の復旧もあとはボイラーや家屋修繕の工事、及び建具の張り替え(ふすま等)を
残すのみとなりました
ただ、家財の1/3以上を水没で廃棄してしまっていますから
生活できる環境に戻すにはまだまだ時間が必要です
まあでも、今回で大きな山場を越えた感じはありますので、
今後の見通しは少し明るさを増した気もしています
あともう少しです!、頑張ります!!
4 件のコメント:
ziziさん、お久しぶりです。
言葉がないですね。どんな言葉も、慰めにはならないかと思います。
私の故郷も、3年前の鬼怒川決壊で水没しました。
私の母校は避難所になりましたし、未だに完全復興はしていません。奇跡的に実家は被災を免れたのですが。。。
一日も早い復興を祈っています。
>丸に橘さん
温かいコメントありがとうございます
丸に橘さんもそんなご経験があったのですね
水害ってどこか地味なイメージがありますが
復旧には長い時間がかかると、今回のことでほんとに身にしみました
家屋自体は2ヶ月もあればなんとかなるのですが
元の生活、ということになればさらに半年くらいは必要そうです
災害は必ずやってくるもの、できることは「備え」だけ
被災していっそう備えの大事さを感じているところですが、
ともあれ、まずは復興!!、もう一息頑張りましょう!
ziziさん、お疲れ様です。
前にも書いたかもしれないけれども、私は生まれてこの方、一度も地震や台風などの大きな自然災害に遭ったことがないせいか、どうしてもテレビでこの手の話を聞いても実感が湧かなかったのですが、ziziさんの文章を読んで、やっと現実の厳しさを知った次第です。
うちで一つだけ影響があったことといえば、ウィルキンソンの炭酸が入ってこなくなったことでしょうか。そういえば東日本大震災のときにも入ってきませんでした。
今困っているのは入院した母が退院したがらないことです。
きっとうちにいると私に、やれ散歩しろだの、デイケアに行けだのの、やかましく言われるからでしょうねえ(笑)。
>J minorさん
コメントありがとうございます
「天災は忘れた頃にやってくる」寺田寅彦の名言ですが
忘れるどころか夢にも思わなかった水害・・・
もう今の地球って自分らの60年の経験値では図れない状況なのかもですね
J minorさんも十分注意、そして備えをお忘れ無くです(笑)
うちの母も、もう帰りたくて、というより僕の手元から脱出したくて
もううずうず(爆)
まだ無理だと言ってるのに、聞きやしません(^_^;)
息子って母親から見ると意外に煙たい存在なのかと
思う今日この頃であります・・・
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